井筒和幸監督
きのうあるところで呑んでいると、
「井筒監督を幡多に呼ばないか」という話が出ました。
そこで、彼を一度呼ぼうとしたことなど、「パッチギ!LOVE&PEACE」のこと、幡多シネマクラブの誕生秘話などを話しました。
「そんな話は始めてきいた」
「へぇーそんなことだったの」
と大いに盛り上がり、井筒監督を呼ぼうということになりました。
なんでも、その人は井筒監督にコネクションをもっていて、
「そうやってアクションをかけているのなら、話は通りやすいかもしれない」
「幡多は幡多ゼミなど、韓国との交流もあり、話に乗ってくるかもしれない」
ということでした。
とりあえず、幡多教組のほうで
その企画の実現ができないかどうかを検討してもらおうということになり、
それがダメなら実行委員会形式にして
もういちど「パッチギ!LOVE&PEACE」の上映とあわせてやろうということになりました。
どうなるか判りませんが、乞うご期待というところです。
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●幡多シネマクラブ第二回上映会作品●
「二十四の瞳」
(1954年/松竹/監督 木下惠介/原作 壺井栄)
●2008年2月16日(土)午後2時、午後6時半の2回上映/四万十市中央公民館●
出演
高峰秀子(大石久子)、天本英世(大石久子の夫)、八代敏之(久子の子大吉)、木下尚寅(久子の子八津)、夏川静江(久子の母)、笠智衆(分教場の男先生)、浦辺粂子(男先生の奥さん)、明石潮(校長先生)、高橋豊子(小林先生)、小林十九二(松江の父)、草香田鶴子(松江の母)
内容
昭和三年、女学校を出たばかりの久子は、瀬戸内海の島の分教場で新入生12人を教える事になる。洋服に自転車でやってきたハイカラな先生と生徒は唱歌を歌ったり、野原を駆け回ったりと美しい日々を過ごすが、やがて戦争が始まり、軍国主義一色の教え方に不満を抱いた久子は教え子達の卒業と一緒に教壇を去る。その大東亜戦争は夫や教え子達を死に追いり、末の娘を事故で失う。やがて戦争が終わり、久子はまた島に「おなご先生」として戻ってきて、その歓迎会を生き残った教え子達7人が開いてくれた。
感想
美しい瀬戸内海ののんびりとした島の生活と、忍び寄る不幸が対照的に描かれ、悲しさをより一層強める。高峰秀子が初々しい娘から、老年までを演じているのが凄い。学校に赴任した時のセリフはどちらも同じだがその違いがはっきり出ている。また木下惠介作品は歌がよく使われているが、この作品では12人で歌っていたのがラストの同窓会で7人になってしまった事を強調していて効果的、泣けた。音楽の苦手な不器用な男先生を笠智衆がコミカルに演じているのもイイ。
(http://www.geocities.jp/smokefree_alley/index.htmlより)
幡多シネマクラブの当面の活動
(一)年会費5000円で、6本の自分たちの選んだ映画の上映会をします。
会員の投票で決めた「みたい映画」を年間最低6本の上映会をおこないます。この上映は会員は無料です。
(二)「シネマ例会」をひらき、映画情報と会員の交流をはかります。
定期的に「シネマ例会」をひらいて、観た映画の批評や映画情報の交換をはかり、会員相互の親睦をふかめます。ニュース、ブログなどをつかった情報発信をすすめます。
(三)常設ミニシアターの建設をめざします。
幡多シネマクラブとして上映会を成功させ、機材を揃えて自主的な上映活動をつづける能力を高めます。そのうえに中村に常設ミニシアター(100人程度)を建設し、常設館の再開をめざします。
(四)条件のあるところで「移動シアター」をひらきます。
機材を充実させるとともに、幡多地区内の上映条件のあるところで、(一)の映画会をひらき、できるだけ多くの人に映画を観てもらう運動をすすめます。
幡多シネマクラブのよびかけ
2005年3月に「太陽館」が閉館して、幡多は「映画館ゼロ」地域となりました。
一方、レンタルビデオ、DVDの普及と映像、音響機材の普及によって、家庭での映画鑑賞がしやすくなる環境も整いつつあることも事実です。しかし、そうした機材をもつ人はかぎられていますし、特に中高年にとってそうした機材を操作するハードルは高いものがあると思います。
こうしたなかで、映画から遠ざかる人たちも少なくありません。こうして映画をみたくてもみられない「シネマ難民」は、増えているのではないでしょうか。いや「大勢の人といっしょに観るのがシネマだ」という概念からすれば、それは確実に増えているといっても言い過ぎではありません。
わたしたちはこうした幡多の現状を打開するために、「シネマを観る」ことを第一目的に運動をたちあげました。
シネマを愛するみなさんに、再び幡多にシネマの光をともすために立ち上がっていただくよう、呼びかけるものです(2007年8月)。